本田圭佑の歴史

本田圭佑 ヒストリー

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本田圭佑の歴史

高校時代

  • 石川県の星稜高校へと進学した。
  • 1年時
    高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝。

  • 3年時
    第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場して、石川県勢として初のベスト4に貢献した。

  • 2004年
    特別指定選手として名古屋グランパスの練習に参加し、ヤマザキナビスコカップなどの公式戦にも起用されるなど、数試合出場を果たした。同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが、獲得は見送られた。

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名古屋グランパス時代

  • 2007年
    北京オリンピックアジア予選では、主力として五輪出場権獲得に貢献した。

  • 2006年
    A代表にも飛び級で初招集されたが出場はなかった。

  • 2005年
    FIFAワールドユース選手権・オランダ大会にU-20日本代表として招集され、初戦のオランダ戦に守備的な中盤として先発。

  • 2005年
    名古屋とプロ契約を結んだ。

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VVVフェンロー時代

  • 2009年-2010年
    VVVで開幕を迎えることとなったが、1部でもそのプレーは大きな賞賛を集めた。そして冬の移籍市場において、移籍金900万ユーロ(約12億円)4年契約でロシア・プレミアリーグの強豪CSKAモスクワへの移籍が決まった。

  • 2008年-2009年
    2部に降格したVVV。
    本田は攻撃の軸として開幕から首位を独走するチームの原動力となり、シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任されるなど、リーグ戦計36試合に出場し、16ゴール13アシストを挙げる活躍で、チームの2部リーグ優勝と1部復帰に貢献し、2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した。

  • 2008年8月
    U-23日本代表として出場した北京オリンピック本大会。
    1次リーグ3試合すべてに出場。3連敗で決勝トーナメント進出を逃した。

  • 2008年7月
    元保育園勤務の女性との婚姻の届出をしていたことを発表した。

  • 2008年5月
    クラブがエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。

  • 2008年1月
    高いレベルでのプレーを求めてエールディビジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンローへ移籍した。

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CSKAモスクワ時代

  • 2012年10月08日
    CSKA本田圭佑が1得点1アシスト
    本田圭佑が、7日に行われたロシア・プレミアリーグ第11節のスパルタク・モスクワ戦で1得点1アシストを記録し、チームを2-0での勝利に導いた。

  • 2012年09月22日
    本田が決勝ゴールをアシスト
    ロシア・プレミアリーグは22日、第9節を行い、日本代表MF本田圭佑の所属するCSKAモスクワは敵地でボルガと対戦。2点ビハインドを跳ね返し、3-2の逆転勝利で6連勝を果たした。前節のアラニア・ウラジカフカス戦(2-0)で2得点を決める活躍をみせた本田は、公式戦10戦連続の先発出場を果たすと、決勝点をアシストする活躍をみせた。

  • 2012年08月24日
    本田が決勝ゴール
    欧州リーグの本戦出場をかけたプレーオフ第1戦は23日、各地で行われ、日本代表のMF本田圭佑が所属するCSKAモスクワがアウェーでAIKソルナ(スウェーデン)を1―0で下して先勝した。本田は、CSKAモスクワでの最近5試合で3ゴール2アシストと絶好調。

  • 2012年01月29日
    本田 ラツィオに移籍が決定(ならなかった)
    CSKAモスクワのMF本田圭佑(25)が、イタリアの名門ラツィオに移籍することが28日、決まった。ラツィオと本田側は既に条件面で合意していたが、隔たりのあった移籍金の額に関してもクラブ間交渉で合意。EU圏外選手枠が空き次第、正式発表される。

  • 2010年2月24日
    UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦がCSKAでの初出場となり、同時にチャンピオンズリーグにも初出場となった。

  • 2010年3月12日
    アムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点となるゴールを決め、チームのシーズン初勝利に貢献。

  • リーグ前半終了
    ロシアスポーツ紙の採点では平均5.96で全選手中10位(1位は6.25)と、VVV時代とは違うボランチでの出場が多いながらも高く評価され、監督との対立もあり不慣れなボランチでの出場が多かったものの最終的に4ゴールと結果を残し、CSKAモスクワのCL本戦出場権獲得に貢献した。

  • 2011年5月22日
    ロシア・カップ決勝のアラニア戦では、途中出場で決勝ゴールをアシストし、CSKAモスクワの2季ぶり6度目の優勝に貢献した。

  • 2011-12シーズン
    右サイドハーフで起用されたことで得点に絡む機会が増え、18試合で前シーズンを上回る7得点を挙げるなど好調を維持。

  • 2011年8月28日
    スパルタク・モスクワ戦で右膝半月板を損傷し、後日手術を受け、全治には最大3ヶ月と発表された。

  • 2011年11月18日
    ルビン・カザン戦で2カ月半ぶりに復帰を果たすも、右膝の故障が再発しまたも戦線離脱。

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日本代表時代

  • 2013年12月11日
    ACミランへ完全移籍が正式発表された。契約期間は3年半、FW登録で背番号は自ら希望した「10番」に決まった。

  • 2012年5月23日
    キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦で、背番号をそれまでの「18番」から「4番」に変更した。背番号変更に関し「4番が守備的というイメージを払拭し、初めて4番で点が取れる選手になれれば面白いかな」と明かした

  • 2012年6月8日
    2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選・ヨルダン戦で自身A代表初のハットトリックを達成した。

  • 2011年2月7日
    フットボーラー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)では初選出された(50年の歴史がある賞だが、海外のクラブでプレーする選手がこの賞を受賞するのは初)。

  • 2011年1月
    カタールで開催されたAFCアジアカップ2011ではトップ下として起用され、左足首捻挫で欠場したグループリーグ第3戦のサウジアラビア戦を除く5試合にフル出場。AFCアジアカップ2011では最優秀選手(MVP)に選出された。

  • 2010年6月
    FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では、攻撃の中心として全4試合にフル出場。FIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ(その試合での最優秀選手)」に選出された。

  • 2009年5月27日
    キリンカップの対チリ戦で、A代表初ゴールを記録した。

  • 2008年6月
    FIFAワールドカップ・アジア3次予選の対バーレーン戦で、A代表初出場を果たした。

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最後までご覧いただきありがとうございました。